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ブログをブロッガーに移して継続して行く事にしました。
まぁ今迄のように、そのとき気になったことを端的に記していくと思います。(Youtube、Vimeoに投稿されてる誰かの映像作品が多いだろうと思います。)
コチラになります。
>>>
http://okamotoshinta.blogspot.com/

それでは。





















   
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そろそろ、このダッセー感じも飽きたなぁ。
でっかい広告でてるし。なんじゃこりゃ。
 
ダ ッ シ ュ !!
 
高速道路の標識の文字を見てると、近づいて行けば行く程に不細工になる形に驚く。まるで悪夢の様に、欲求したものがするすると抜けて行く様な感じや、アイドルへの憧れのように、近づけば近づくほど、遠くに行ってしまうような魅力がある。印象からの実体は決して求めていた形でそこには無い。印象をうけたモノが全てで、それ以上近づくことも遠ざかる事も出来ない。まさに印象派の絵画のようなのだ。近づいてみても、モチーフの細部は現れない。しかし、モチーフの実在を感じてしまい、それがある状況すらも感じてしまって、それが不可解でしょうが無く目が離せなくなってしまう。空気感を作り、その空気感に触れたものにその空気を流す程の威力があるのだ。そのような科学が使われて出来ていると思って高速の文字を見ると、とてつもない美しさを感じる。
 
「百日の説法、屁ひとつ」
 
「運・鈍・根」田原総一朗が言ってた。
 
1.現状把握 2.整理整頓 3.ターゲット作り 4.行動 5.失敗/何か得る 4,5の繰り返し 1.に戻る 
これらの流れは一瞬で行なわれる。
 
うん、やっぱり、遅れは遅れだ。なんとか取り戻そうと思う。
時間をスピードを。感覚を。
映画「CUBE」のパズル部屋のような秒針の音。カチッカチッカチッ。次の部屋への扉が開いてくれるのかと思わせる期待の音カチッカチッカチッ。ドラムが次いでズッドンズッドン。身の回りの事柄がスーと時間と共に知れず過ぎる。忘れない為の音。
 
画面いっぱいに広がる色彩。
アカ、キ、アオ。
殴り描きされた絵画のよう。
一瞬、スローモーション。
バッとそれらが流れ落ちて、白い綿毛がフワフワと舞いだした。
背景には森林が見える。深緑とのコントラストがとても綺麗だ。
ふっ、と見上げれば空では無く天井が見え、ビックリして地面も見てみる。
すると鉄と板金の継ぎ目と構造が見える。
なんだこりゃ。
後ろを振り向くと億千もの宇宙の光がガラス越しに見え、
その手前には運転席に座る二人の宇宙服。
面食らって思考が固まる。
視覚が止まってしまう、まるで車窓から見える風景のように
今みた風景はもう無い。
確かなのは、遠くに見える山間とビル群。
 
 パソコンでの作業に一息入れる為に、朝焼けに鼓舞されるがままちゃりんこをこいだ。246から昭和女子大学に折れ住宅街をぐるぐると走る。朝はまだ完全には迎えていない。人の気配が抜け、アスファルトと木々と人の家ら自体が「町」であることを主張する。こちらに越してきて2週間、気を確かめる日が無いまま過ぎていた事に気づく。大学の4年間、上京では無く山ごもりをした時も深夜の津久井街道を気持ちが続く限りちゃりんこを走らせた、大学3年の始めに越した時も大学を越えて、みなみ野、多摩美、橋本と犬のマーキングの様な調子で回った。しかし今のこの町でのこのマーキング行為は4年間のそれらとは少し違った。酷く懐かしさを感じていた。住宅街を走っていると目の前に世田谷公園が表れる。懐かしさのありかを確認した。10年近く前にこの公園に通っていた時を思いだした、噴水、踊り場、平和の灯火、テニス場、プールの入り口、大好きな映画のワンシーンのように目に入るものが全て美しく感じた。朝日の光は出発の時よりも空を明るく綺麗なピンク色に染めていた。そのまま世田谷公園をぬけ、もう一度住宅街に入り、朝が迎えてくれる方角に向かう。まだ目の前に見える住宅街の高級マンションは道路からの光からしか照らされておらず、建物の先っちょは空の暗さに潜んでいた。そうこうしていると祐天寺、中目黒とまた知ったような町が現れ、人がいない町で、自分の中にある人々がいた記憶をたどり、影を感じた。何年も前の記憶だが、断片的に思いだす記憶は先週あった出来事のように思いだす。町の存在感、両脇の公共団地が示す寂しさと「友達」がいる場所と言う感覚、小学生の時の感覚さえも思いだす。そろそろ帰路に着こうと元池尻小学校を過ぎた辺りで、朝空は最高の輝きを見せてくれた、今日見たモノが一度にフラッシュバックして現れ、記憶と皮膚と血液がこの町に合致した、また東京にいるぞ、と。
 
――――――――――久々に酔う。やりきれない思いがつのる。大地震、毎夜くる余震によって慣れてしまう鈍い感覚を憎む。そして締りが無くなってしまった。数珠つなぎに生活が繰り返していることの気持ち悪さにも憎悪を覚える。そして無力感に襲われ、現在を憎む。悲しい時間に楽しさを加えてやりたいと考える。途切れない集中と途方も無く過ぎ去る時間、全てを憎んでしまう。空洞が体の中でうずめいている。夢にだまされることも無く、音が切れてしまう事に鋭敏に反応して、予感を嗅ぎ取り大きな石をよけてしまうことを憎んでしまう。考えてしまう事を憎んでしまう。逃げる覚悟が出来ていることを憎んでしまう。突っ込んでしまう事を憎んでしまう。人と喋れる事を憎んでしまい、言葉を聞いてしまうことを憎んでしまう。鯨の様に座礁してしまいそうな不安を憎んでしまう。世界はひとつ。今なら意味がわかる。他人から影響を受け、他人に影響させてしまうこと、社会や事象に左右されていること。魂も何もかも。Beatや音叉の様に全ては心拍数や心、脳の中も血液も言葉もファッションも色もすべてが映し鏡の事が。こんな事を考えることがひとつの区切りになるのだろう。
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