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Mars Dessin
日記を書かな過ぎだ!と、徳能君に指摘されてしまった。確かに、、ご無沙汰すぎる。。。なので、ちょっとづつ。。
下の記事よりもずっと前の話だけれど、石膏象のマルスを実家から持ってきていて、ヒッサビサにデッサンをしてみたら、やっぱり集中力が続かず、ダラダラと何日も石膏と向き合っては、ちょっと描いて。なことをしていて、これじゃあ拉致があかねぇと思い、無理矢理終わらせて見たが、結局出来上がったデッサンは、やっぱりヘタクソになっていてガッカリした。
でも、一つのこと、凄く単純な作業の積み重ね、紙と鉛筆と練りゴム。優劣がハッキリしていて、自分で判断し易いものでもあるデッサン、何か自分の中でのモノを見る時の姿勢の確認や、整理が出来た。鉛筆の感触、練りゴムの臭いがやけに気持ちよかった。また、時間が出来たら描くだろうな。
憤り、憤り、生きている価値が無くなった。そのおかげで、生きている意味を見いだして良い事が分かった。あいつは自分の価値で喋らず、世の中が認めてる事に対して、どれだけ自分がそれに近いか、ってことを見せびらかして、めちゃくそにテメェを押し付けてきやがった。人のパーティーとか関係ない。あのタイミングで出会っていたなら、殴っていたのは間違い無い。明日、昼間にただ紹介されていたら何も無かったのかもしれない、でも何かこちらの思いが伝わりそうな気配がした、だから全力でこちらの思いを伝えただけだ。あいつが喧嘩をうってようが、言葉の使い方を知らないようでも関係ない、それに応じてオレは答える。そしてそれにもっとも適した手段を使うのだ。そう、そうしただけ。カッコイイグラフィックを作ろうが何だろうが関係無い。手段も選んでかまわない。だけど、対人するなら、形を変えてより伝える気持ちを見せろ。 例をあげるなら、中学生の頃から事ある度に頭を横切る福沢諭吉が弟子に言ったらしい言葉がある。何かの説明か翻訳を弟子にまかせ、それを見た時に言った言葉。 『猿にでも分かるようにしろ!』と言ったらしい、一聴すると読者をバカにしたようにも思えるが、多用な感性がある中に、たった一人の思いを出す時に、その位に親切な方法をとり、見てくれる人に対してでは無く、自分の思いに対して敬意を払い作る事で、読者しかり、第三者から見てもしっくりとした、本当に筋の通ったものが出来るのだな、ここ最近説明がつくようになった。そんな事をあいつに伝えたかった。